9918 followers, 0 fans. The reason why I, a 39-year-old, decided to shatter my “false image” on the night of February 28th.
今、2026年2月28日、夜。 世田谷の自宅で、1.5歳の愛猫の穏やかな寝息と加湿器の駆動音だけが聞こえるリビングで、私はこの文章を書いています。
今年の8月、私は40歳になります。 「不惑」と呼ばれる歳を目前に、私は今、猛烈な焦燥感と、ある種のスリルの中にいます。
SNSを開けば「タレントさんを撮影」「フォロワー1万人」という数字が、なんとなーく私を成功者のように見せてくれる。愛機で撮った写真に「いいね」がつき、プロデューサーとしての発信に反応もいただける。
けれど、自問自答しました。 この1万人のうち、私の「魂」の震えを、泥臭い試行錯誤を、お金を払ってでも追いかけたいと思ってくれる人は、果たして何人いるだろうか。
「よしきさんは、綺麗にパッケージされた『自分』を売っているだけじゃないですか?」
深夜、昔から付き合いのあるバンドの後輩に投げかけられたその言葉。それは、私が一番自分に言いたかった、そして一番避けてきた「真実」でした。 だから、私は今日、この場所で、今までひた隠しにしてきた「高橋慶基という人間の、光と闇」をすべて解体しようと思います。
7000組の頂点と、奪われた「約束の場所」
私の原点は、15歳の路上にあります。 高校時代はライブをすれば常に超満員。音楽の専門学校に進み、aikoや椎名林檎、SUPER BEAVERも優勝した「TEENS’ MUSIC FESTIVAL」で7000組の頂点に立った。勝ち取って出演した1万人以上のa-nationのステージ、降り注ぐライト。数々のメジャーレーベルからのオファー。

あの頃、誰もが、そして私自身が「私は何者かになれる」と確信していました。 けれど、現実は無慈悲でした。

事務所の都合、メンバーの不祥事。自分の情熱や努力ではどうにもできない理由で、メジャーデビューという夢は、指の間から砂のように零れ落ちていったのです。頂点から叩き落とされたあとに訪れたのは、絶望ですらない、耳が痛くなるほどの「無音」でした。
約10億円の売上、地獄のパワハラ、そして「空虚」
その後、私は「表現」を捨ててスーツを着ました。 とある会社で、営業マンとして必死に数字を追った。結果、数年で約10億円の売上を上げ、MVPも獲った。だれも開拓できない会社を電話と飛び込み営業で風穴を開ける私を、周囲は褒めてくれました。
けれど、私の心は死んでいました。 どれだけ数字を積み上げても、音楽を追いかけていた心が燃える感覚に出会えない。
他の営業マンの3、4倍の顧客を抱えていた私は、家に帰れないこともしばしば。ノリで営業マンになったはいいけれど、当時の会社は営業マンがバックエンドの事務作業もすべてやるシステム。1億円規模の資料作成、エクセルでの複雑な関数……。それができない私に待っていたのは、上司からのパワハラの地獄でした。
「今、赤信号だけど渡っちゃおうかな。車が来なかったらラッキーだな」……そんなことまで考えてしまうほど疲弊していたのを覚えています。 「もし明日、私が死んでも、この世には何も残らない」 その恐怖が、深夜のオフィスで私を襲い、翌日退職届を出しました。

その後は、もともといた事務所に戻るも、結局は社長に裏切られるような形で辞めてしばらくはふらふらしていました。そこから紆余曲折あり、とある事業で資本をため音楽レーベル、事務所、レコーディングスタジを立ち上げるのですが、信じていた共同経営者に株を100:0にされ、数千万円を持ち逃げされるという地獄も味わいました。
お金だけでなく、人間への信頼も、自分のアイデンティティも、すべてを失った34歳の瞬間でした。
なぜ、私は「カメラ」を握りしめたのか
35歳になり、落ちてばかりじゃいられない。心も人も、断捨離をしました。
疑わしい人と関わらなくなったのもこの頃です。
その中で新しい、カメラとの出会いがすべてを激変させました。
なんとなしに見ていたSNSで流れてきた一枚の写真を見て心が震えました、あ「私、そういえばクリエイターだったんだ」
気がつけば、約100万円分のカメラ一式をポチっていました。
コロナ禍の中で私がカメラを始めた理由。それは 「メジャーデビューできなかった私が、この世に生きた証を、作品として何としても『遺したい』」 その、呪いにも似た執念が、私にシャッターを切らせたのです。
一眼レフやスマホで撮れる「誰かのための正解」はいらない。私という歪な人間が見た、一瞬の光と影を遺す。 それこそが、私が死んだあとも残る唯一の「遺産」になると信じてカメラをはじめました。

ReFLiAと、共に見つめる「大舞台」
そして現在、私は「ReFLiA」のプロデュースを筆頭に、東京シャッターズの運営、美容サロンのディレクションまで、複数の顔を持っています。これまでは、それを「器用にこなすプロデューサー」として演出してきました。
でも、本音を言えば、今の私は「彼女たちの夢を叶えるために、人生を賭けて伴走する一人の職人」でありたいと思っています。
私がReFLiAをプロデュースするのは、単なる仕事ではありません。彼女たちが最高に輝く場所を創り、彼女たちの夢が叶う瞬間に、自分のすべてを注ぎ込みたい。その先に、もし私の作った曲も一緒に、誰もが認める「大舞台」へ連れて行ってもらえたら……。それこそが、プロデューサーとしての私の、そして表現者としての私の、最高のリベンジになるんだと確信しています。

1万人を裏切り、もう一度「本物」へ。
でも、もう「完成されたプロデューサー」を演じるのはやめます。
昨年末頃、激しい腰痛で動けなくなった日々。ぶっとい鍼の痛みに耐えながら、私は自分の「弱さ」と向き合いました。私は、完璧な人間でも、無敵のプロデューサーでもない。かつて敗北し、裏切られ、今もなお「自分とは何か」に悶絶している一人の男です。
40歳を目前にして、私はもう一度、自分の中の「本物の表現者」を呼び覚まそうとしています。裏方として誰かを輝かせることの尊さは知っている。けれど、私自身の魂が叫びたがっている衝動を、もう無視することはできません。
この場所では、その「悶絶」のすべてを共有します。
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作詞のたった一文字が決まらず、15歳の頃の自分に申し訳なくて泣きたくなる夜。
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成功の報告ではなく、現在進行形の「格闘の跡」。
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彼女たちと共に「大舞台」を目指す中で直面する、孤独な決断と再生の記録。
正直に言えば、この記事を公開するのも躊躇いがあります。正直に怖いです。でも、ここから始めないと一生変われない。
40代を中途半端で終わらせたくない。
私は、1万人の「観客」はいらない。私の生き様に、私の失敗に、そしてこれからの「40歳からの再起」という逆転劇に、本気で共鳴してくれる「100人の目撃者」と出会いたい。
2月が終わります。 明日から、私は「高橋慶基」を再起動させます。
もしあなたが、私の「遺すべき作品」の目撃者になってくれるなら、これ以上の喜びはありません。
長文のお付き合い、ありがとうございました。
この私の残り半分の人生が、あなたがワクワクできる1コンテンツになれば幸いです。